毒母に育てられて

毒母を克服するまでの私の波乱万丈人生を振り返ります。

DV男2

1人目妊娠した時は

母が気付いた。

様子がおかしいし、生理も来てなさそうだし、もしや、と思ったらしい。

母はすごいサポートしてくれた。

「次は産もうね」って抱きしめてくれた。

2人目を妊娠した時は私は感情のコントロールが出来なくて、

その上彼には

「産みたきゃ産めばいい。けど養育費を渡す様なお金は無い。」

と電話を切られ

堕ろすまで会ってもくれなかった。

毎日気が狂った様に泣いていたので

家族に気が付かれてしまった。その時も母は優しかった。


もう、一体私の人生はこれからどうなっていくんだろう。

人殺しに幸せなんて訪れるわけがない。。。


なのに別れれなかった。


でも

とうとう

別れるキッカケが訪れた。


彼の実家のある場所に彼が転勤になったのだ。


彼が転勤になって直ぐ


おかしい。。。


病院に行くと

性病。。。。。


彼を問いただすと

俺は定期的に性病検査を受けてる。たったこの前検査を受けて陰性だった。

と。。。。


病院では彼もかかってるはずなので、と2人分の薬をくれた。


でも

別れなかった。


ある日

会いに行く事に。。。10日ほど。

彼は実家で母と弟と住んでいた。


お母さんも変な人だったなぁ。


でもやっとで私の目を覚ますこととなる事が起きた。。。

彼を訪ねに行ってる間

何処にも連れて行ってくれず

1人トボトボ散歩したり、

犬と遊んだり。。。

お腹が空いても、お母さんもいるし勝手にキッチンを触ることもできず、コンビニもない様な所で、彼は車も無く。。。ずっとお腹が空いてた。

友達に車を借りたと出かけるや、道に迷ってブチ切れてそのまま家に戻ってくるという。。。


決定的だったのは

Hをしたら

「今度こそは産んでほしい」

と中出ししたのだ。


ただ

もう信用出来なくなっていた私はピルを飲んでいた。

後、性病の薬を2人分もらっていたので訪ねたその日からそれも飲んでいた。


何かがやっとで私の中で変わって行く。。。。


そして



やっとで

別れたのだ!!!!!!!!!


なんて事だろう。

この事を書くのは本当に勇気がいる事で。。。

悩んだけど

書く事にした。


恥ずかしい事だ。

全く

恥ずかしすぎる。


私は正常の状態ではなかった。

今思うとありえない。

今だったら見向きもしない様な男。

でもあの時は

仕方がなかったのだろう

と思う。。。。。