毒母に育てられて

毒母を克服するまでの私の波乱万丈人生を振り返ります。

出産

結婚2ヶ月後妊娠して精神的に不安定

(http://igirisu2017.hatenablog.com/entry/2017/07/29/200346)

な状態だったわけですが、悪阻も酷くて大変だった。

一度母にメールで内容は覚えてないのですが、叩かれた事の夢が辛い、的なメールを送りました。

母は

「人の批判ばかりじゃなく自分の事を棚にあげないようにしなさい」

と言う返事だった。


メール送るのにも勇気が必要でしたが撃沈です。


出産が近くなり、母が私達が住んでいた海外に来ると決めてくれました。


ありがたい事でしたよ。


出産後、病院の美味しくないご飯が食べれないと、お弁当を作って持ってきてくれましたし、赤ちゃんのお風呂の入れ方も教えてくれましたし。

ありがたかったし嬉しかったし感謝もしますよ。


10日間居たのですが

出産前は

お腹が大きくて靴の紐が結べない私の靴の紐を👟結んでくれた主人。

もう、

それが母には衝撃だったらしく。。。。

「自分の旦那に靴の紐を結んでもらうなんて!!!!信じられない!!!!何様????」




。。。。。。。。




 出産前と出産後バーベキューでステーキを焼いてくれた主人。


それに対しても

「こんなに色々やってくれて。。。。」


そう、

普通に母親なら

「いい旦那さんで良かったね〜!」

じゃないですか。


母は違った。

「旦那さんがかわいそう。。。。」


だったわけです。


それから3、4年これで苦しむ事になるのですが。。。

その話はまた後で。。。。


そして出産し、病院には1泊で帰ってきたのですが(海外では普通)、


こことばかり


母親振りたかったのでしょうが


「◯◯(私)、いい?子供というのは叩いて育てなさい!」


と言いやがったのです。


毎日のように彼女に受けた躾という名の暴力の悪夢や恐怖で精神的にボロボロになってる娘に対して


そりゃあ

その事は彼女は知りませんでしょうが


許せなかった。



はぁぁぁぁ????!!!!💢💢💢


💥

何を言ったのか覚えていませんが

「そんな育て方はしません!!!」

的な?事を言ったはず。

もちろんそれに対しても母はきっと

「だからお前は駄目なんだ」

的な?いつもの感じに言われたのでしょう。(覚えてない。。。)


それが母が日本に帰る前の日だった為

朝早いフライトだったのですが

私は見送りしませんでした。

主人が空港まで送ってくれて、私は朝起きもしませんでした。


母からすれば

忙しい中

田舎のおばさんが

頑張って

こんな遠い海外まで来たのに

なんて娘だ!

って思ったでしょうが。。。。


あの時は本当に許せなかった。


でも

やっぱり

彼女が帰って1、2日経つと

罪悪感を感じ始めます。。。。


大人気なかったかな。。。せめて朝起きて、来てくれてありがとうと言えばよかった、と。



が!!!!!!!!!!!!!!!


電話が来ると

「今日の晩御飯は何?まー、あんたはどうせ寝てるだけでしょ?旦那さんに全部やってもらうんだろうねー。なんせ靴の紐まで結ばせる女だもんねー。本当にかわいそうな旦那。。。!」


毎回です

毎回。。。。。



感謝したくても

したくなくなるような事ばかりする。。。


彼女のした事ばかり素晴らしくて


私の感情なんてどうでもよく、感謝の出来ない私は酷い娘なのか????


こんな私の苦しみなんでどうでもいいくらい彼女のしてくれた事は素晴らしいのか????


感謝が足りない、と言われるたび。。。


納得いかなかった。