毒母に育てられて

毒母を克服するまでの私の波乱万丈人生を振り返ります。

愛情

とにかく自分は母の愛情を欲していた

とゆう事に

気づく事もとても重要なプロセスでした。


とにかく

愛されたかった。

母が

兄を愛するように

弟を愛するように


自分が何がしたかったのか、欲しかったのか気づく事は本当大切です。

虐待されて育つと知らず知らず自分の感情を押し殺す癖がつく気がします。

欲しいものを欲して良いんです。

恥ずかしい事じゃない!!!!

はい!!!

愛されたいというのは人間の自然な感情。

当たり前なんです。


気付いた後スッキリしたというか


母の愛情とかもうどうでもいい


と思う事が発生。


以前と違い母は大分私に気を使うようになって来ていました。

私の気持ちを理解してくれたというより、そうゆう事言うと私が怒るから、って感じだったと思います。


ヨーロッパにいたので、貯金なんかせず旅行三昧だったんですね。

正直

楽しかったです!!!!

最高でした。

クリスマスにはスイスに行ったりフランスに行ったり

楽しかったです。


お正月に酔っ払った母から電話があり

「クリスマスに電話したけどいなかったよ。」

と言われ

「あー、スイスに行ってたわー」

母は。。。

「はぁ?スイス???凄いでございますわね、次はスイスですか。理解ができない。こっちは毎日毎日必死に働いても、なーんにもいい事無い。なのになんであんたがそんな生活できるわけ?世の中おかしいよね。フェアじゃ無い。なんなの💢」


。。。。。。。。


娘の幸せは

彼女にとって幸せでは無い


世の中おかしい

こんな娘が幸せなんて


って事だよね。。。。

私が自分の子供達にそんな感情を抱くだろうか。。。。


その頃余り人格否定されていなかったせいか

久々の発言に結構傷付きました。


あの日


両親どちらかが死ぬまで

もう実家には戻らない


と決めました。

アメリカ人に帰化しようとも考えました(主人にもう少し待ってみよう、と言われしてません)


そして6年がたつ事となります。