毒母に育てられて

毒母を克服するまでの私の波乱万丈人生を振り返ります。

1回目の爆発

子供が9ヶ月位だったでしょうか。

日本に転勤になりました。


ので


実家に帰る機会も増えたわけで、

と言うか


帰って孫を見せなければ!


と思っていました。


いつも感謝の出来ない駄目娘と言われ続けた私としては、孫を見せる事が親孝行とおもっていました。


でも。。。。。

帰郷する度

母の友達や親戚も会いに来てくれるのですが。。。

母はいつも通り


「靴の紐結ばせたんだよ!」

「掃除の仕方とかもありえない!」

「旦那ばかりに掃除やら料理やらさせて旦那がかわいそう」

「旦那はいい人だからこんなアバズレと結婚しなければもっといい人と結婚できて幸せになれたはず」


皆に言いまくります。


子供が2歳頃には

「貴方のお母さんは若い時ただのアバズレだったんだよー。分かる?アバズレ?(笑)」


こんな感じが毎回でした。


とうとう私は爆発💥してしまいました。


「いい加減にしろよ!!!!!!」


このブログに書いた内容の1/3位、母のした事をぶちまけました。


が!!!


興奮していたため

言ってる内容がただの駄々こねてる大きな子供の様でした。


上手く説明が出来なかった。


もちろん母は全否定。


母には言いました。

「せめて今までの事を謝ってほしい。」


「はぁ!?なんであんたなんかに謝らなきゃいけないの?」


その後はもう何言っても駄目。。。

「もう放っておいて、やめて!聞きたくない!出て行って!!!」号泣


もちろん居た人達は母に味方。

「お前が悪いから叩かれたんだろう」


誰1人として

私の言ってる事を真剣に考えてくれなかった。


この歳になっても駄々こねてる、母の言ってる通りの馬鹿娘


と言う扱い。


そのうえ母の

これでもかって言うくらいの悲劇のヒロインパフォーマンス。


皆からすると

できの悪い娘に苦労させられた母親

以外ないわけです。


母にこうゆう風に育てられたから、私は問題行為も多かった、とはならない訳です。


母からすれば良心以外何もないつもりで私を育ててきたと思ってる。


人格否定も


全て

「お前のためを思ってやってきた事」


誰も疑問なんて持ちません。


兄に相談しましたが

1番相談するべきではない相手だった。

兄は母にとってプリンスですから。

兄は母の私にしてきた事を見た事がない。

叩かれていても

「あいつまた何かやらかしたな」

ってだけ。


弟にも相談したけど

「そうゆうの面倒くさい」

と聞いてくれもしなかった。


母が言う、私がこうゆう人間(父にソックリ、自分勝手、わがまま、我が強いetc)

とゆう事を

周りはそのまんまの目で私の事を見てる。

見下されてる。

兄弟含めて。


「なんでお前なんかに謝らなきゃいけないの!!!??」


これが答え。


お前なんか

そう、

なんかなんだよね。



耐えられなかった。


こんな家族要らない。


海外にまた転勤になったとゆうのもありますが

後6年間

日本には帰る事はありませんでした。